花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

夏の納涼、怖いものへの注意事項



いちおう、「怖いものを観たがる心理」の
一番奥底には
人間であれば
神様や見えないことへの畏怖と
不思議なことへの敬愛(求める心)が
隠れています

ですので、そうしたことへの
積極的な否定はできないのですが

昨今はホラースポットや
怖いもの、怖いはなし(website含む)に
ラグナロクの影響で
ひどく禍々しい触りがでていたりします



私個人としては
廃墟など、うわさのホラースポットは
決して行かれない方がよいと
ご注意したいところです

前々から訪れる人の不謹慎さ
(霊体とはいえ(※))
人の苦しみを娯楽にし、
みたがるようなところに
不謹慎で攻撃的なエネルギー体がひかれあい
マイナスダークゾーンに陥っているところは
多数ありました

ただ、そうした
おそろしいことに
興味を持つな、とは
おもいません

※さまよう霊は
さまようだけの理由があり
それは生命の苦しみです、
みえない、わからないから
かれらが恐ろしいもだと思うだけで
ほんらいは彼らも人間であったもので
ただ、苦しみからさまよっている

ほんとうに見えるなら
かれらの抱えている「苦痛」と
だからこそ、さまよっていることを
理解されるでしょう……

しかし、あかるい娯楽の気持ちは
かれらをなぐさめたり
ばかばかしさに気づかせたりする
両刃の剣のようなところがあり

敬意と礼節は
もってほしいところではありますが



もしもそうしたものにふれるなら
あるいは、表現をするなら
私は敬意と礼節は
忘れないでいただきたいと思います
(できればホラースポットには行かないでください)

かれらは、
悪魔やマイナスのエネルギー体とことなり
ただ、苦しみにいまだに苦しむ
もともとは
わたしたちと同じ人間にすぎません

だれも他人にはなれません
人の人生やくるしみは
わかるようで、他人には
おしはかることしか
できないものです

わかっていないことさえ
わからずにいる、無理解は、どうしても
人間として、の部分を
落とし、なくしてしまいがちになる

なにがしかの存在を
揶揄し、踏みにじることは
見えないものであれ
見えるものであれ
人間として、恥ずかしいことです……



もしも、畏怖や恐怖をあじわいたいなら
(まさに肝試しですが)
明神様に頼んでありますから
「明神さま、怖い思いをさせてください」と
空に、あるいは神社で願われてください

夜には味わえます
(朝には解放されましょう)

陰陽にならうこと、苦い経験の意味



陰陽は、陰をそぐことになく
陽をもとめることになく
陰と陽のバランスをとることにあるといいます

私はそれを聞いたとき
たとえば西洋医学東洋医学
ことなりと似ているなぁと思いました

陰をそぎおとし、陽にかえること
これは西洋医学のように
場に起きた不具合に即効性があります

陰陽は陰と陽のバランスを
長い目にしたがい整えていくものですから
即効性はありません



たとえば幸福、幸運ばかりもとめること
楽ばかりもとめること
占いで陰の経験をさけつづけること

これも(自前のエネルギーの)
陽を強め続けることですから、
やがては全体的にバランスを崩すことになります

ですから本道の陰陽のばあい
「バランスが陽(幸運)に傾きすぎてますから
明日は火の気のある陰
(人間関係の、喧嘩などのトラブル)を
味わわれた方がよいですね」なんてことに
なります



苦手なたべものにはその食べ物なりの栄養があります

敗北(陰)を味わわなければ
勝(陽)の道のりは
つづきえません

苦労はエネルギーのかたまりです
己がのまれさえしなければ
克力をふかめます



傷つかないこと、苦しまないことを
望みつづけるなら
皮肉なことに、なにがしかの
苦しみは生まれます

それは陰陽のバランスが
(無意識に陽ばかりをもとめるため)
しらないうちに崩れるからです

もっとも己をささえ
たかめてくれるのは
「嫌がらない、こわがらない」
忌避感、怯みをもち
避けようとする己をみつめ、
それにうちかとうとする
克己心なのかもしれません

ラグナロクの最中に人にかせられたこと、愛が打破していくこと、怯えが魔物となること



ラグナロク
天帝(天界)と悪魔(異界)の
闘いです
見えないところでは
すでにおきています

悪いこと、悪性のたかめを悪魔がおこし

よいこと、善性への気づきや
めざめのもたらしを
天界がおこなっています



悪魔にはたくさんの業があり
ひとつに「味方を敵と疑わせ、争わせる」とか
そんなことが得意です

かれらは錯覚をつかいます
錯覚を深めるわざがあるんです

以前、天界からのものものは
秩序と善をおもんじるあまり
悪魔のそうした錯覚の業に
混乱をきたしたりしました

そこで天界は策をこうじ
「敵とか味方とかではなく
ひとりひとりが、
自分の善(光)をあゆみなさい」とされました



ベーシックな「ルール」がある

ひとつに、怯え、憎悪、嫉妬、けいべつ、嫌悪など
人として負の想いがあるなら
これが、その人への「まもの」と化します

(攻撃者としてあらわれたり
騙すものとしてあらわれたりします)

たとえば「疲れ」に嫌悪感が有る場合
「疲れ」が魔物として
(見えないところで
見えないエネルギー体で)具象化します

(これを受けた人が
攻撃者となったりします)

ひとという命に
マイナスの感情があるのはしょうのないことです

それは消そうとするほど
濃くなったりもします

しかしそれは錯覚を生じさせる

そうした錯覚を濃くふかめ、
具象化させて相手を弱らせるためにつかう
それがベーシックな悪魔のやり方なのです……

ですから、この仕組みを覚えておけば
対策がとれるのです、
あらわれたものは某かの仕組みであらわれる

その正体を
正しく観ぬいて、解き明かすだけで
それは散っていきます



また、マイナスへの対策以外にも
きちんと救済の法則があります

愛には愛が
真心には真心がかえります
かならずきちんと、報われる

だしたエネルギーは己にもどる

負のエネルギーは
正(あるいは陽)のエネルギーで相殺できる

愛は最強のエネルギーであり
どのようなこともかなわない
場を覆すこともある

こうしたことが基本です

……

……ラグナロクは恐ろしいものではないし
現実に具現するともかぎりません

もっとも恐ろしい悪魔のわざは
錯覚にすぎません

自前から生まれる錯覚ですから
だからこそ、自己の鍛錬により
どのようなことも
超えることが可能です

幸福を常にもとめれば
なにが(あなたの)幸福かは見えてきます
忘れずに溺れずに歩みたしかにすれば
道のりは明瞭です