花の星の創作BLOG

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不動明王尊、怒りの大切さ

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☆彡「あれは私だ」について

過ちをもつものだけが
過ちに気づきえます

いらだち、むかつきは
穢れのまといにすぎません

ほんらいのアヤマチは
己がするからこそ
人に見えるもので

そこへの「注意(静かな怒りをもってたしなめること)」は
もっと、人を傷つけたりしないものです

子を怒る親の
「子」を否定するものは
親ではありません

それと同じです

行為、態度への「気づいたから注意する」は
私はした方がよいと思います

「持ちうる人」しか
気づけないからです

でも「人がむかつくから(やっつけて)落とそうとする」は
人間の本心でも
人間の持ちうる怒りでも
ないのではないかと
思うのです

……

怒りを覚える
あやまちをもつひとは
「私」と似たようなところのある
「私の仲間」でありますが
それは
たぶん、
とても、無心の底にあることで
自分と手を繋げないと
つながらない気もします

……

「ひとのおこない」に
気づけるなら
口にすればよいと
私は思います

でも、
人を否定することが
どうして
他人にできるのかと思います

「むかつくから言う」など
それは怒りではなく
穢れです

「穢れ」は
とにかく「人を削ぐ」をしますから
避けて通りたいものですね