花の星の創作BLOG

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神様との舞いは、ひとが勝手にしてはならない

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神ごとをされる方なら
感覚がひらかれてありますから
ご理解されているかと思います

神様とのことは
神様がうごかれることなので
人のタイミングや
自我、自意識由縁のやり方は
してはならないものです
(人は、流れ降りた御手をうけとるだけ)

神様がいやがられることを
しない、
してこないことが
もっとも大切なことになります

なにかをする、なにかをいうことより

言葉をつつしむ
行為をつつしむことを
学ぶしかない

なぜそこまで
人が使われるものとして
まわらねばならないかというと

神様は、この世にとって
とても
大切な方々だからです

なにかをいう
なにかをすることをもって
神ごととされるかたは
すべて偽物、まがいものともいえます

なにかをしないこと
慎むこと、が
できない限り
神ごとは
出来ないものだからです

たとえば
ひとをまえに
脅すようなことをいったり
災害を神罰だ、だのいったり
そうしたかたは
そもそも、口をつつしみ
行為をつつしみ
己を人間のひとりとし
学ぶことができていない

できないかたは
できないから、
神様は、流れおりられることが
ないんです

ことば、行為を
つつしめない、とは
底に穴があいているんです

穴があいているかたに
エネルギーは
おりてきません
たまることがないから
そこに、
とどまれないから

預言と、予言はことなります
また予知とも異なります

預言は
穴があいてない方
慎める方に
おりるものです

また、誰かに命令することではないし
脅すことでもない

時がきたら
なにがしかのために
動くために
流れてくるものです

ことば、
これは、ひとが
勝手にして良いものではなくて
神様との
約束ごとのようなものです