もともと
神聖なる場は
人のためではなく
地球のために息づいてるので
いまのいう
パワースポットというのは
とても誤解のある言葉だ
地球のため、その地のための
エネルギーの清流が
ながれている場所
聖域はそうしたもの
☆
聖域は
ひいては
自身の命や
すみかにつながるので
感覚(センス)がよいひとは
そっとしておき
たちはいらないことを
行ってきていた
☆
聖域は
自分の命とつながる
神々聖霊も
そうしたようなことがいえる
たとえば弁財天なら財の
帝釈天なら仕事の
神社の神々も
それぞれ、自身の
なにがしかの
[域]になる
かれらに深い礼拝をおこなうと
反映される
自身の[域]に
そのエネルギーが
流れ、ふかまり
ながれてまわる
活性化する
これが本来の
運気あげ……
☆
次元……
その人の本性が
存在している[界]により
現実がずれはじめる
前からそんなことを
みてきているが
これからさき
どんどん、そうなっていく
☆
ほんとうのそういうことや
ところは
息吹をもつ
たとえ
モノがついえても
その聖なる魂、生命が
息吹が
きえることはない
存在している界により
この世がファンタジーのように
わかれていくとき
かれらは、
きちんと、同じ界にすむ人のもとに
もう一度、あらわれる
モノがなんであるのか
現実がなんであるのか
そのときようやく
人は思い出す
現実に、モノが
どう存在しているか、ではない