花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

真怒は、苛立ちではなく、明王につながる、「喝」と「破」



▲ヒーリング
「喝」です
「うけとる」で流れ込みます
よろしければどうぞ

……★

人間の真の怒りについて
書き方を変えて、2つ記してあります
(一)と(ニ)
どちらも同じ意味ですが
よろしければ
ご鑑賞ください

…★★★

(一)

あなたが
よくなくて
まちがっていて
私は正しいから
あなたを叱りつけて
罵倒する、

というのは
人間の心理ではなくて
穢からくる
苛立ちにすぎません

人間の心理のいかりは
神様の憤怒の現れ
明王」とつながりますから

あなたは
あやまちをふんでいて
危うい足をもちあげている
そのあやまちに絡まる
あなたのように思える
悪穢があるから
怒りつけてそれをとろう

そんなような心理になります

このときの「いかり」は
仏教がおこなう
「喝」や「破」とおなじことです

ほんにんを、
本人(人間性)にもどす、
こころから、まことから
もたらされる「怒り」は
こうしたことをもっています

「自分の正義」というのは
実は静かにかえりみれば
もしかしたら
誰も、もっていないのだろうと、
私には思えます

どうにか
がんばるために
自分の正義だと
なにがしかの思考に
すがりよっているときが
あるだけなのではないかと

人は不完全ないきものです
だからこそ、正義がないかわりに
あやまちがあって
そのあやまちにかしづくとき
まれに、悪穢が
とりまいていたりします

いかり、は
ひとのものであるなら

「私が正しいから」は、
じつは
こころのそこには、なくて

害や邪悪のむき
危うきにかしづく
「あやまちがある」のが
みてとれて
それで、わくのだろうと
思うのです

穢を破することにより
とりのぞいて
喝することにより
はらいきよめる

こうした怒りに達している方もいて
それは。意識ではなく
たぶん、感覚的なものだから
方々がどのようにとらえているかは
わかりません

人間の、心の怒り、
まことの怒りは
きっと、そこに向かっているし
それなのだろうと
私は思います

……★★

(ニ)

怒り(とつぜんであり、
コントロールできないとき)は
たいていは
悪魔への怒り、憤怒をふくんでいます

怒りを感じた相手に
怒りがあるわけではなく
その状況の、どこかに
「あなた」が
「ほうむりたい」
悪のエネルギーが
感知されていたりします

信じがたい話かもしれませんが

人間は皆
今生、何度かの転生を重ねており
「悟り」のきょくちを
いくどか、
過去世のなかで
すごしています

みんな、が、です

それで
みな、すべて
怒りや、かなしみといった感情に
「清め祓い」の力を宿しているのです

どのような思いであれ
深いところには
親愛の泉が滾々とあります

それは霊能力とか
神がかりとか
そうしたことではなく

自然とともにいきる
人間の、根源のちからの
ひとつなのです

人間はもう
悪魔に取り憑かれることもありませんし
じつのところ
悪霊にたいしても
ある程度の防波堤ができるのです

……怒り、というもの
不快、かなしみ、ふあん

これらを一つ引いて
よく、かんかくをひらくと
「目の前の人(その気持ちの対象)が
その人の、本人ではない」ことが
ありませんでしょうか?

あるいは
その人、本人の人間性
いちじるしく
ことなるようなこと

……「破」と「喝」を
思い出されてください

おおきなこえを
それらは嫌います

気合をもって
腹のそこから
声をだし

自然なかたちをとって

いのちから

「破」するか
「喝」されてください

人間の怒りならば
これが可能です