花の星の創作BLOG

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悪心への自覚のススメ



相手にとって
相手のため
あるいは、
誰かのために
否をつたえるとき
「あなたの理由」が
なぜそこにあるのでしょうか

……★・……

否をつたえるなら
己の一切を捨てて
真剣になって、相手の否をあらわす

そうでなければ
魔物が踏み込む話をしました

魔物は甘いものと
人を傷つけるものが好きです

否定、というのは、
どんなに、自己弁護したところで
相手を傷つける行為です

……★
・……

波動や、温もりと冷たさの話です

私は、己が行為にするときの
心場のほうを見ておりますので
自前の波動はみておりません

……★・……

神様の愛、というのは
「あなたにとって都合の良いもの」では
ありません
けっして、ありません

かれらが暗く重く、冷たいとき
かれらは魔物を破魔しています
「なんとなく近寄らない」場になりますね

……★
・……

魔物が破魔されるとき
臭さ……気色の悪い臭いが漂うこともあります
それは、そこに魔物がいたから漂うものです

魔物は、死ぬ間際に臭うもので
活性化しているときは
そばにいる人間たちに
臭いをふくめ、さまざまなことを
感知させません

天使や龍や神など、他のものにみせかけ
実のところの、
臭いや、みにくさ、性格の悪さは、
わからないようにしているものです

神々が、破魔をしているところは
破魔の危険で溢れています

また、破魔のときに必要なものは
ぬくもりではありません

……★・……

現実はさておき
見えない界隈は
かんぜんな自己反映が
ともないます

偽るものは、なぜか
偽るものに、騙されます
(偽りこそが
実態になってしまうようです)

胸底に腐りをもちながら
「よく見せたい」
「よく思いたい」ひとには
そういうものが、おとずれます

己を隠したがる人が
香水をきつくたちこめさせ
顔をつくあげるように
魔物は、そうしたことをして
ひとにすがりよります

己をよく見せたがるひとが
まず、「素敵な名前」を名乗ることから
はじめるように
魔物は、そうしたことをします

欺瞞をつくりあげるものは
欺瞞が見抜けなくなるらしいです

……★
・……

私は、善人面には
嫌疑を覚え、ほぼ信頼をしません
たいていは
「己が善人」と信じ込んでいるだけで
己の悪心、敵意に対し
無自覚なものだからです

……★・……

悪心、敵意は
「他人にはあるけど
自分にはない」というのは
おそろしい勘違いです

それは、自分にあるものです

胸底をきちんとみつめ
自分の行為に
自覚がともなわなければ

その敵意、
嫌悪をわきたたせる
ゆがみは、
無駄な爭いをもたらします

……★
・……

先にも書きましたが

優しい気分だとか
正しい気分だとか
そんなことは
見るモノには見えるものです

能力や感性があるものは
胸の奥の心持ちが要となります

(ひらいているとは
道や、扉が、ひとより
あいているようなことです)

あらわしの
胸元、心理根源が道となり
通るものがありますから

「優しい気分」など
一切捨て去り
「胸底」を見続けなければ
(道や扉がひらきやすい分)
腹の中を
魔物にくわれることになります

たまにいらっしゃる
笑みと優しさをうわべにつけた
魔物の住処と化している方は
胸底心根を見ずに
うわべの気分ばかりをつくりあげ
動かれつづけた方かと思われます

愛は、優しい気分
正しい気分などではありません

……★・……

何が底にありますか

……★
・……

相手の思い(怒り)を
理解することは
大切なことです

この行為で
どのような怒り(不快)が
かえるかを
わかることが

思いやりです

自分は悪人である、と
思い込むのは
自分は善人である、と
おもいこんでいることと
同じことです

必要なのは、行為への自覚であり
「自己評価」ではないのです

「他人をわかること」が
思いやりであり
そこから、ようやく
正しさも優しさも
みえてくる

自前へのきもちというのは
そのどれもが
他人への気持ちではないのです

相手への否をおこなうこと
自分が傷つけることをしていると
自覚しているとき
相手の痛みを
己の痛みにかえしながら行うなら
刃は最小限でおさえられます

邪気を相手からおとせたら
しまえばいいのです