花の星の創作BLOG

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否のエネルギー★人を否定するとき、認めながら、伝えることがある



否は、いわば
青色のつめたい、刃のようなエネルギーです

これにあたりますと
心身のどこかが削ぎ落とされたり
傷ついたりしますから、嫌う方も多い

でも、まっとまうな否は
ひとの心身のエネルギーから
邪魔なもの、まちがい、不浄、よくないもの
を、そぎおとします


否のエネルギーを使える達人は
日本刀をもち、ひとの周囲で
舞い踊るがごとく
「その人を、傷つけず」
「その人でないもの」をよりわけ
削ぐことができます


「冷水をかぶせられたように、
目が覚めた」など


そうした「否」には
人は、自然に感謝をおぼえます


そこにあるのは
「人を否定する」ことではなく
「人を見抜いて、人に戻す」

いわば

相手への理解と
完全な「そのひと」への肯定で
根源的なものが
「認めている、存在の祝福」


じぶんが、じぶんでないもので
ブヨブヨになってしまったとき

「そのひと」を認めているひとは
「否」により、ブヨブヨの部分だけを
削ぐことができます

その人に戻す

当初は耳に痛くても、
すこしずつ、「あたたかさ」が
よみがえるのが
そうした「否」の特徴です

……

「怒らないこと」は
良いことではありません
「なんにも怒らない人」は
たいへんな嘘を抱えているからです

……

私は、
されたら嫌なことを伝えること
あるいは、じぶんの気持ちや、意見を、
ちゃんと、「相手を認めながら」
伝えられることが
理想です

……

逆に、肯定でも、人を迷わすもの
苦しみを、もたらすものがあります

「否」は、ふつうのひとでも
「それ」をもちやすいので
わかりやすいのですが

おもてむきの「肯定」からだと
「それ」が、わかりづらいため
たいてい、「肯定感」にごまかされます、が

「それ」が根源にあると
「否定」はもちろんのこと
肯定であっても
あるいはどんな
「ことば」や「態度」であっても
ひとを苦しめ、傷つけます

そのひとらしさ、や、
そのひとであることをも、傷つけます

ですから、「それ」が宿るエネルギーが
なんであれ
他者からぶつけられますと
ひとは、苦しみます
(悩みになったりもします)

「それ」は、「そのひとの存在否定」であり
根源的な「人格否定」のエネルギーです

「そのひとがいること」や
「そのひとであること」を
つぶし、そぎたがる、
エネルギーです

そのエネルギーがやどるかたは
根本的に「その人」が嫌なのです
ですから、関わる必要も、悩む必要もありません
「距離をおくこと」が
相手にとっても、「よいこと」になります

「心をはなし
距離をおくこと、悩まないこと」
それが、相手への優しさに
なったりするんです

……

「認めているひと」からいわれたことは
なやんだって、かなしんだって
良いんだと思うのです
認めているひとは
その人に対し、贈れるものが
もう、あるからです

言いなりにならないためにも
自分で自分を考えればいい

「人が嫌い」なひとは
結論をいえば「はなれてほしい」のです

深層心理では

ですから「はなれてあげればいい」
「思考」も「感情」も
すべて、はなして
はなれてあげればいい

わりあい、嫌いあう相手と
現実的にも心身的にも
距離をとったら、うまくいった、なんて
よくあるんですよ