本来、神様からのおりがあったり
縁があったりするものは
ひとつだけ、
やれることがある
「誰のことも否定していない意見」を
述べられる
「エネルギー」の状態であっても
「文面上」であっても
「賞賛」や「ほめること」「もちあげること」ではない
「意見」を
「誰も否定しない」で述べることが
彼らは、できる
:
「述べる意見」が正しい一方で
影ができるごとく「誰かが否定されている」なら
それは「人の意見」になる
悪いものではない
人ははざまで光と影を理解していくものなので
「誰かを否定する意見」が「意見」のひとつなのだ
また、ちょっとした自己チェックにもなるが
「誰かを否定しないと意見が述べられない」のなら
どこかで「魔境」にさしかかっている
「否定しか出来ない」なら、
「魔境」のエネルギーにあてられている
「魔境」と「天界」
はざまの人間にはどちらも親しく、傍らにある
「肯定しかできない」なら
「天」にあてられふわついている
「否定しかできない」なら
「魔」にあてられ、ひきずりこまれそうになっている
:
蛇足だが
「もちあげ」「賞賛」「あまやかす」は
「無理解」がそこにあり、押しつけとひとしい
「魔境」のあてられになる
「天界」のほうは
「やさしさ」「思いやり」「理解」「尊重」がある
:
「魔境」は「怒り」を教えてくる
「天界」は「愛」を教えてくる