花の星の創作BLOG

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さまざまな存在



 


「感」、は
直線で上に向かうのではなく
円をかいて
したにも、上にも
そして、横にも
ひらいていくように
わたしは思えます


神様をみるかたは
悪魔をさっちしますし
(下のずーっとしたのほうです)
妖精をみるかたは
妖怪を
聖獣をみるかたは
魔物を見ると、いわれます


感、が
下と上にひろがるからですね……



よいことばかり宣うかたが
「あぶない」といわれるのは


天を感じるなら
地も感じるようになり


光をおぼえるなら
闇も、また
親しくおぼえるようになり


「よいことばかりがみえる」なら
その対極にある現実を
無視しているか、
わかっていないか、です
ですから……あぶないのでしょう


……


神を「騙る」ものは
低級といわれますが
悪魔も、多いです


上位の悪魔となりますと
にせものの神のようになります
いわば悪神ですね


知識も知恵もよくまわり
さにわが、いかに強くできても
数十年の人生では
太刀打ちできません……


(前記した三回問うかたちで
たとえ、真のすがたを告げられても
神とみまごうばかりの
ちからを持つ悪魔には
ひとは、くみしかれやすい、
つまり、みえないものは、
真のすがた
正体が問題なのではありません)


……


自分の内心についても
みえない生命の世界についても


わるいものと、よいものは
同時にわかりつづけるように
できているのでしょう


……


 


悪魔もあぶないものですが


たたり神もまた、おそろしいものです


かれらは怒り狂いをもたれ


たやすくは落ち着かれません


 


すべての存在は


聖霊、妖精、天使、あやかし、もののけ、などなど


そういった「名」の数だけ存在しており


すべて、様子が異なります


 


たたり神は(波動がさっちできますなら)


かなり重い苦しい波動を


かもしだされるので


たまに、悪魔とか、邪神とか


まちがわれていますが


怒り狂いのたたり神と


悪魔や邪神は、まるでべつのものです


 


……


 


そうした、すべてが異なる


さまざまな様子をもつ


みえない領域で


なにがもっとも、重要か、といいますと


「みのほど、わきまえ、自覚をふくむ」


「実力」です


 


さにわ、は


相手の正体とともに


実力を見分けるものといわれます


みえないものと、かかわるなら


みえないものの正体だけでは、


手落ちしてしまうです……


 


自身の実力をわきまえ


相手の正体(よりも、じつはその力と


目的)をみわけ


真心をもって生きることが


大切なようです