花の星の創作BLOG

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圧倒と終焉



神様がおりられると
ようやく、
ゆがんだ宗教や
スピリチュアル界隈などで
云われてきた神様が
掌にあるような方々で
それで、神様というものが
どれほど巨大で
ひとのてにはいらないものなのか、が
わかるのだとおもう

悪意のがわの方々は
いまだに神様を、しらないので
たくさんのことを
しようとしたり
宣ったりしているけれど

思考で把握したり
かわしたり、できるものは
神様ではなくて
人サイズにあるもので

つまり、計画とか
あるいは、知識とかいうのは
なにがしかであっても
それは掌のサイズにすぎない

悪意の終焉は
かれらがたててきた計画や流れを
なにもかも無駄にしながら
おとずれる

……

歓迎したものは
歓迎をあたえられるという
スピリチュアルや
霊能者、ゆがんだ宗教者で
このときにおとずれたものたちを
「歓迎」を「できた」ひとは
わずかだった

かれらが最後に味わうのは
境遇の二極化で

真心か、魔心

ひとつは神様とともに歩み始め
ひとつはエゴ、ナルシシズム(欲)
あるいは、偽りの神もどきをしんじ
真なる神様への否認とともに
はしりはじめる

……

最後にあらわれる獣の姿は
そのものの目が決めるという

たとえば
ナルシシズムだとか
エゴイストだとか
「真なるもの」を見て
そう観たてたものたちには
そういう獣があらわれる

いつわり、まもの、
だまされ、
そう見立てたひとたちには
そういうものが……

……

真なるものたちに
無垢、あるいは
観音をみたひとは
最後にあらわれる獣が
無垢なる観音となるらしい

不思議なことだ