花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

関係ないところで世界がまわり、ながれ、うごいている



頭が壊れて
一年か二年ほど
なにも出来ず、動けずにいたころ
携帯を片手にとりだして
ネットを散歩するのが日課だった

ネットでなにかを言う(書く)のにも
それ向きのパワーがいる
その時の私には、それすら立ち上がらなかった
もともと言葉はひどくやりづらい

絵を描いて、寝て、ネットをみて
その繰り返しだった

その時つくづく思ったのが
世界は私には関係ないこと、だ
訳の分からない話かもしれないが
世界にたいして
なにもできない(表現ができない)
ただ
なにも思わず、なにせず
傍観しつづけていると
感じられるかもしれない

有る意味、なにかをつたえたり
なにかを表現したりは
世界と関係することだから
なにかをしているひとは
どこかで、「世界と私は関係している」
かのような錯覚を
もっているんじゃないかな、と思う

誰でもとは限らないが……
ある種の、弱い強いはあっても……

でも実際はたぶん、
世界はひとりひとりには
あまり関係がないんだと思う
それは自分ごとではない
ヨソゴトのあつまりだ

……

その中で覚えたのが
一種の異様な寂しさと
忘失に似たものだった

関係しようとしなければ
関係など、ずっと
ないままなんだ……

人間関係があることは
(たぶんにトラブルや
煩わしさもあるかもしれないけれど)
人間関係が「ない」ところから見れば
ずいぶん。富んで恵まれていることだ

……

その寂しさと忘失のまま
なにも出来ないので
結局は携帯をまた観ることになる

頭が壊れた、と、書いたが
もうすこしいえば
頭の損傷に近かったのかもしれない

思考、行動するための思考がうごかない
損傷した手足がうごかないように
なにも動かなかった

……

忘失からみていた世界は
私に関係なくすすみ
私に関係なくながれ、
たくさんのひとが
「他人のことにとやかく言う」を繰り返し
「自分のことをとやかく出す」を繰り返し
さまざまを織りなして
流れ続けていた

「停滞している」ことは
ひとつもなかった
一人一人からすれば
色々停滞があるように見えただろうが
先に、先に、と
すべては進んでいたし
そのため、いまは、
前とは違う。すべてが

私は岩のように停滞していた
だから、じわじわとでも
ほかの人たちが
先に進んでいたのがみえた

……

そのとき、ふと
世界が全く関係ないことは
ずいぶん、助かるなぁと思った

まえも、どこかで、かいたが

私が苦しんで泣いているとき
悩んで落ちているとき
どこかで笑って幸せな人がいることは
幸福なことだ

この世が、苦しみの一色ではない
ひかりはあちらだと、
わかるから

世界が関係ない、って
どんなに私が個人の闇におちても
よろこびのひとや
進む人がいるということだ

ひとは見つめているほうに
意志を持ってすすんでる

幸福が、遠くにでも
みてとれることは
幸いだ

……今も私は
世界とは、わりと距離をおいて
自分のことをしている
あの時、感じたことは
文章にすると
上のような短文になるが
ずいぶん、ためになった

私は、私が不幸なとき
そうしたことと関係のない世界があることが、
幸せだった

ひとが幸福で
楽しんでいたことが
救いになった

何かの役にたちたければ
それだけでいいんだと思う