不動明王の怒りはいつも
「悪を怒りて、人を怒らず」で
なんだっけ
大可越前さんだかが
そう裁いたんだっけ
なんか神様の怒りってそんな感じ
それで
「人を怒りて、悪を怒らない」のは
まゆつばかなぁ、と
私は思っている
:
穢れがやっぱり
どんどん濃くなっている
そうしたことは
「よきことの前触れ」でもあって
あるいは「しるし」……
つまり「どんどん、時代が進んでいる」
穢れ=悪が消えていってる、時に
たちのぼるようなもの
まぁとらわれなければ
わりと良いんだよ、わりと
:
しかし、知らなかったけれど
たとえ憑依にあったとしても
たとえ、穢れのまれにあったとしても
「思いやり」「親愛」「真心」にあるなら
それらは次第にはがれていくとか
(そうした利他愛は
いついかなるときにも
負の影響を
受けないんだそうだ)
(まぁ、愛だけは呪えない(呪を受けない)、というのは
みえないところの、現実だ……
つまり、そういうことなんだろう……)
みずからの心というのは
みずからが思うよりも、案外強くて
煩わされるよりも
視野を変えるとか
そんなもんが、善いらしい
:
「他人が、ヒトが」は危ういので
できるかぎり「自らの整え」の方に
気持ちをもっていきたい
「ヒトが」目につくことが
多いとか……あるかもしれない
穢れが多い時は
そんなもんだ……