悪意なるものが流し込んできていたエネルギーは、私は「呪い」としかとりようがありませんでした
それは人によれば念に見えたでしょうし、悪霊や、マイナスエネルギーに見えたと思います
私はそれを言葉でとらえやすいのですが、それと同じ言葉、あるいは呪いのエネルギーがもたらそうとしている「あらわれ」を、文章にしてブログなどで書く方々がいらっしゃいました
方々にはふたとおりあり、まるきりあちらの傀儡と化している方々、もうひとつが、「解毒、解呪」の力を持つ方々です
解毒、解呪の作用力を持つ方々は、呪のエネルギーを己の言葉で書き表すことにより、解いて呪いにしない=呪のエネルギーを解放している
「呪いにしない」力がつよいため、その影響にそうしたことを(たぶん、無意識で)されていたようです
悪意なるものは、どんどんと破滅にむかっています
それの呪は、いま、死にたい、自分が悪い、(エネルギーにすると罪悪感、死滅感)をもたらしています
とくに「傀儡だったもの」か、無意識にそうした呪とりをされていた方々に、それがきています
呪とりとはいえ「悪意なるもの」と「同じことをいっていた」ことを、利用して流し込んでいるようです
かみさまは、あなた方を祝福しています
気落ちと、罪悪感、自分がわるいとか、死にたいとか、理想や自分の好みを人に被らせてきた、とか、そんな気ぶんがたちあがる日々ですが、どうか負けずにいらしてください
カクリヨでラグナロクがおこなわれている昨今に、わからないまま、認識できないまま、それでも、人を思う人は、人のために動かれています
呪詛は一種のモラハラのようにながれています、「理想を押しつけてきた」「人が傷つくようなことをしてきた」ように感じるあなたに、まわりのひとがほんとうの信頼と好意をよせているなら、もしかしたら、その態度は上辺にそうみえるだけで、カクリヨでは「呪詛をとってきていた」効果があったのかもしれません