花の星の創作BLOG

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分別

分別とは
分けて観ることのようです
エネルギーのところでは
これがとても大切になり
たとえば
己をとりまくものにせよ
人のあらわれにせよ
ひとつひとつ
エネルギー流を
分けて観ることができないと
(つまり
まとめて一つに観てると)
理解をすることができません

とりつかれているね、とか
神様の気触れだね、とか
そんなことも
すべて細かく分けられるなら
分別ができることですから
絡んだ糸をほどくことが
できるようになります

この時
その人自身がわるいとか
よいとか
そんなことは、
一つに観ることと同じです

だいたいのトラブルには
たくさんのものが
ぐるぐる渦巻いていますから

ひとつひとつを分別し
ひとつひとつに解毒を行うのが
力というモノになります

いえるのは
他人の責任に軽くまとめてしまい
責め立てるなら、それは逃避であり
よく分別がつけられない目だということです

さて、簡単なはなしですが
エネルギーでいうなら
目の前にあらわれることは
己の気により
表出します

私の神々は
悪意なるものを
葬り続けていますが
それは
人を傷つけようとしてのことではなく
世界を、源の
ほんらいの世界に
戻そうとしていることです

たとえば
怒ることを厭うなら
怒りがなにかを
知らない

怒り、は
相手を己とみつめなければ
ズレます。

言い訳しなければ
怒りたい相手の気は
己の気と
リンクしている

すなわち
おなじものが
ひきあっている

目の前のあらわれが
己とおなじものだと
理解したとき
ようやく、会話になり
そうして、伝えたいことが
そこにうまれます

神々のつるぎは
まさにそれで
ひとを、人に戻すため
あるいは
まともに戻すために
ふるわれます

分別がつけられる目が
周りを観る目にも
己をかえりみる目にも
育ち宿ると
途端に楽になります

それはむやみやたらに
佳い人になるとか
修行をする、とか
努力をする、とか
そんなことではなくて

落ち着いて、
いま、己をとりまいている
エネルギー(気)の
本数を観てみることや

己の本来の気を知り
それと違うものを
ひとまず分けておくことです

別の気に
のまれないこと
距離をとることが
次第にできてくる

まずは
己を知ることが
楽になる道のりのひとつです

他人に怒りの責任があると
思う目では
他人を、ほんとうには
怒ることは出来ません

なぜなら
他人は
己ではないからです
距離があるからです

そして、他人は
他人の責任で
生きてあり
己のために生きている人など
ひとりもいないからです

理解は、祓いをもたらします

本当の、人間の、真心の怒りは
傷つけたり、削いだりすることなく
たんに、その人をその人にもどす
祓い清めになります