絵にしても
詩にしても
歌にしても
踊りにしても
なにかを
「表現する」とは
祈りに近く
神様への供物として
されていました
忘れ去られた今でも
そうした「流」は
命にあって
「なにかをあらわす」とは
世界の「命の流」に
ひとつの「息吹」を
流すことになります
☆彡
自分のしたことは
自分にかえります
それを知っているものは
今はもう少ないのです
ですから
なにかをあらわすことは
その身にかえることだというのを
忘れ去られてしまっているのです
☆彡
「ことばにならない処」には
はじまりのとき
歌がありました