信仰と祈りについて
信仰というのが
ほんらいは
心の奥に潜む
なにかへの信頼をさし
表向きの「しんじている」という態度では
ないことは
先日記しました
祈りというものも
似たようなもので
それは無音のなかにありますから
表向きの「いのっている」という
言動ではありませんし
そこにはなかなか灯りません
イエスさまが伝えていたように
「隠して祈る」ほうが
うんと、ほんとうの祈りに
近くなります
☆
「心の奥の信頼」が
神様に向いていたら
道を踏み外すことも
そうそうはない
「かみさま」というのは
「こころがあること」
「おもいやりがあること」
「芯があること」に
あるからです
☆
「暗がりの時」というのは
あるもので
ひとりひとりにも
全体にもあります
そうしたとき
心は何を信頼しているのでしょうか
そうして
なにを
無音無言に
おもっているのでしょうか
無自覚に
ことばなく
なにを
どこに
捧げているのでしょうか
☆
「かみさま」は
ひとの意識が作るものではないし
人の思考のうえで
把握できるものでもありません
ただ、無音無言のなか
それでも心が
信頼をよせている「ところ」に
つながっているのです
この世を信頼する、とは
本当の神様を信頼することです
この世をたばかる、とは
神様をたばかること他なりません
☆
お祓いも
お浄めも
また、力のある人が
無意識におこなっている
「つたえること」も
さまざまな「かみごと」は
「こころ」とともにあります