花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

ぽるるんぱ

たくさんのさまよいや
いろんなことにあてられて
おぼつかなくなったら

見えないところではなくて

見える現実の
ひととして
あたりまえなこととか
生活とか
ほんとうの友達とか
家族とかに
もどりなさい

道理も、真理も
[人として]を
重ねたところに
いきづいている

[人として]
すすんださきにある

人として、
生きて
心重ねた時
おとずれる
釈迦が、その守り神

釈迦と
エス
親友

いまも
かわらない

ことなることを
いとわない

最初に神様がおこなわれた
[ひかりあれ]は
[ことわり]のこと
道理のこと
真理のこと

真理は、心理とおなじこと

こころあれ
そういうこと

こころあるから
ここにある
それがいのち

きえないもの

もともと
神聖なる場は
人のためではなく
地球のために息づいてるので

いまのいう
パワースポットというのは
とても誤解のある言葉だ

地球のため、その地のための
エネルギーの清流が
ながれている場所

聖域はそうしたもの

聖域は
ひいては
自身の命や
すみかにつながるので

感覚(センス)がよいひとは
そっとしておき
たちはいらないことを
行ってきていた

聖域は
自分の命とつながる

神々聖霊
そうしたようなことがいえる

たとえば弁財天なら財の
帝釈天なら仕事の

神社の神々も
それぞれ、自身の
なにがしかの
[域]になる

かれらに深い礼拝をおこなうと
反映される
自身の[域]に
そのエネルギーが
流れ、ふかまり
ながれてまわる

活性化する

これが本来の
運気あげ……

次元……
その人の本性が
存在している[界]により
現実がずれはじめる

前からそんなことを
みてきているが
これからさき
どんどん、そうなっていく

ほんとうのそういうことや
ところは
息吹をもつ

たとえ
モノがついえても
その聖なる魂、生命が
息吹が
きえることはない

存在している界により
この世がファンタジーのように
わかれていくとき

かれらは、
きちんと、同じ界にすむ人のもとに
もう一度、あらわれる

モノがなんであるのか
現実がなんであるのか
そのときようやく
人は思い出す

現実に、モノが
どう存在しているか、ではない

魂とこころ

己の情けなさや
罪深さを
思い知って
はじめて
正道が歩めるという

弱さを知らないと
つよくはなれない

強さは、
強い事じゃ
ないんだろう

弱いことや
間違えることを
知っていて

己の、間違えやすさや
弱さや
情けなさの
いたみのうえで

それでも、歩み進む
姿なんだろう

間違えたら
やりなおしなさい
それぐらいもできない

傷つけたら
あやまりなさい
ごめんなさいと
相手の痛みに
おもいはせなさい
そんなことさえ

言い逃れしながら
にげまどい

ひとが
きずつけたか
どうかじゃない

さいごにのこるのは
自分がきずつけたか
どうか、だけだ

間違えたらあやまる
相手のこころを
おもいはせる

責任って

そういうことだ