花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

2018-01-01から1年間の記事一覧

混迷の時は、人を愛する

これからどうなるのか 私はしりません 知っている方もいらっしゃいますが そうした方は 昔では「エイヤ(預言をもつひと)」と よばれていました 予言と、預言はことなります 神様のことばを あずかるかた、が 預言をもつひと、でした 未来を当てる人ではあ…

解るとき

こののち、 「あなたが何者であるか」が わかってくるでしょう ひとが、では、ないです ひとは、ひとですから もっと、重要なことは 「あなたが」なんです あなたの使命や 役割も ふとしたときに わかるかもしれません 知識や情報ではなく 経験のように から…

祟りやつきもの、浄化や回復の大切さ

私の経験したことにすぎませんが 祟りやつきもののなかには その方をまもるために 生じていることもあるようです 私も、 状況が酷いとき(いまもですが)は 氏神さまが祟りをもたらされます (首から上に流れ出ます) すこし込み入った事情があるので 私がそ…

詩や芸術

ほんらいの神のお心は 詩(うた)や 芸術にあらわれます 長い言を話してもたらすものは 神ではなくて 霊のほうに位置されます (霊のほうの) 神とするなかには かたりものと にせものがあり かたりもの、は 悪いものではありません 人と同じで 具現を、人と…

明王の討魔には冷気がながれ、癒やしは暖かい

外温と二、三度ことなり 冷ややかな空気が流れるところは 明王と魔がたたかっていたりします 天は 魔や、悪をほったらかしには していません 明王は 滅殺力のお強い 神の使いでありますから 殺意(すざまじく冷える殺意)を はなたれて、魔を討伐されます た…

蛇の神様

普通に暮らすことの尊さ

これから、世界の混迷が 深みを増していくにつれて どう生きればよいのか どう生活すればよいのか 迷うことがあるかもしれません 普通とは あなたにとっての「普通」ということです まよったら 「普通にくらす」ことに 戻られてください あるいは 普通にくら…

ひと、ではなくて、

人を観るとき ひとを、そのひとの所為とせず ひとと周り(あるいはとりまくもの)を 「今」と観るとよいです 責任を求める人は 責任を個人的なものだと 誤認されがちですが 責任はどの場合も わりあい個人的なものではなくて 全容としたものです 網羅する要…

愛に基づくことをしよう

たとえば ほんとうの正義とか 真心とか そうしたものも 慈しまれておりますが 天の意はただ 「愛を源に、愛に基づくことを」 それだけでした わくわくすることをしよう、とか 好きなことをしよう、とか 天の真意を覆い隠すように 偽りの言葉は流されていまし…

圧倒と終焉

神様がおりられると ようやく、 ゆがんだ宗教や スピリチュアル界隈などで 云われてきた神様が 掌にあるような方々で それで、神様というものが どれほど巨大で ひとのてにはいらないものなのか、が わかるのだとおもう 悪意のがわの方々は いまだに神様を、…

目線

文章や、なにかをあらわすとき 誰かに観られること 誰かに、何かを思われることを 望んでいる「もの」はおおいし 望んでいるから、ひっぱられて ほんとうの表現からはなれているものも多い その時代が終わるようだ これからは 誰かに、なにかを、おもわれる…

いろんな人が生きている世界

自分のあたまのなかの おもいや、かんがえからの 他人しか居ないとき こうすればいい ああすればいい ばかり 結局、自分がすればいいことを 他人に思い浮かべる いろんな人がいきていて いろんなことをしていて いろんな生活があり 価値観があって 喧嘩ひと…

関係ないところで世界がまわり、ながれ、うごいている

頭が壊れて 一年か二年ほど なにも出来ず、動けずにいたころ 携帯を片手にとりだして ネットを散歩するのが日課だった ネットでなにかを言う(書く)のにも それ向きのパワーがいる その時の私には、それすら立ち上がらなかった もともと言葉はひどくやりづ…

なぜ人のことをとやかく思ったり、言ったりするんだろう(他人への好奇心について)

ひさしぶりに自分の意見を綴ってみる ずいぶん、スピリチュアルだの なにかだの そんな話ばかりだった 人は他人への好奇心を抱えている 人間が群生の生物である限り (つまり個人よりも 群集であるほうが 人間は生きやすい) その好奇心は 己や、己の群集へ…

愛と想像

思いやりににているかもしれません 愛と想像力がむすびつくと 創造力があらわれます、創造性であり それこそが、人間本来の 生産性です 思いやりのないこと 愛ではなく、 自我(自己保身、自己憐憫、あるいは自己慢心)と 欲がむすびつくと 創造力とは真逆の…

やってみるとわかることと、愛が祝福であること

「言うは易く行うは難し」といいますが やってみると「言葉の軽さ」がわかりますよ 愛は「祝福」であり 呪いではありません。 「いう」よりも「行う」ほうがいいです 「行ううちに人生で培われたこと」ができてきます 言葉にするなら そちらをする方がいいで…

夏の納涼、怖いものへの注意事項

いちおう、「怖いものを観たがる心理」の 一番奥底には 人間であれば 神様や見えないことへの畏怖と 不思議なことへの敬愛(求める心)が 隠れています ですので、そうしたことへの 積極的な否定はできないのですが 昨今はホラースポットや 怖いもの、怖いは…

陰陽にならうこと、苦い経験の意味

陰陽は、陰をそぐことになく 陽をもとめることになく 陰と陽のバランスをとることにあるといいます 私はそれを聞いたとき たとえば西洋医学と東洋医学の ことなりと似ているなぁと思いました 陰をそぎおとし、陽にかえること これは西洋医学のように 場に起…

ラグナロクの最中に人にかせられたこと、愛が打破していくこと、怯えが魔物となること

ラグナロクは 天帝(天界)と悪魔(異界)の 闘いです 見えないところでは すでにおきています 悪いこと、悪性のたかめを悪魔がおこし よいこと、善性への気づきや めざめのもたらしを 天界がおこなっています 悪魔にはたくさんの業があり ひとつに「味方を…

だいぼしん

わたしはこうきいている だいぼしん子を生んだ時 あまりのいたみに 死地にたおれた 大母神のからだから 穀物が生え 果物が生えた右乳から流れ出したミルクから とあるものたちが生まれ 左乳から流れ出したミルクから とあるものたちがうまれたたおれたといっ…

ネガティブな流れに自我をあわせないこと

もともと、人間は ポジティブなものが本心神髄にあり 愛していたり、無垢だったり 無邪気だったり、好んでいたり 可愛いこと、よろこばしいことを 深く感謝したりする命です それは神のわけみたまであり ひとりひとりが、神の子であるためです ひとりひとり…

可哀想と、慈悲のちがい(前の記事の補足事項)

可哀想というエネルギーと 慈悲のエネルギーは まるでべつのものです 慈悲のエネルギーは 慈しみ(愛)が根元にあり 痛みや苦しみに悲しみをおぼえるもので 相手の自立や自主を邪魔しません 可哀想というのは 自分への憐れみというのを根元に その反射で相手…

可哀想というエネルギーが消えていくこと

本日より 「可哀想」という 哀れみのエネルギーが 消えていきます ともない、 「私が可哀想」とか 「●●さんが可哀想」とか そんな気持ちが なりたたなくなってくるでしょう みえないところの エネルギーの「かえ」は ふかく、そうして とんでもないスピード…

能力の解放

先日、人間の能力の解放が おこなわれました ヒーリングとか お祓いとか、もっとほかの異能力 [自分でできる ナニカ不思議なことがある、 ナニカ、これができる]が このさき、おぼろげながら 見えて、はっきりしてくるでしょう ひとはもともと ひとりひと…

指導者はもういらないこと

ずいぶん、 みえないところでは ひとたちの意識 心理がかわり すす祓いがおこなわれてきました もう、指導者の必要性は なくなっていきます 誰かに教えてあげようとか 伝えなきゃならないこと、は それを先に知る役だった方々にも この先は、おりてきません …

本心の呼音

感謝と好意は、貴方から湧き出る、オリジナルな貴方そのもののエネルギー

たくさんのものが みえないところでは すれちがい、混濁し また行き交っています たまに、かるい 憑依やかかりは みんな、かかっています 風邪のようなもので かかるたびに 抗体ができるらしく おなじものには かかりにくくなりますが ……よくないもの、は 程…

愛から不安をとりのぞこう

愛する命をみつけ愛が灯ったとき とある理由から ひとは、強烈な不安をかかえたり ストレスフルになったりしがちです それは、えーと 「愛する」をよごそうとする 気色のわるいものが エネルギー界隈に すこし、底の底のほうに うごめいているからです…… 愛…

ただ、愛することの強さ……

ただ愛することの強さ…… なんらかの意志や 方向性がともるなら そこからあらわれるエネルギーは やはり、 サイキック(霊能力)経由になります ただ、愛することは 意志や方向性がありません ただ、愛することは (見えない世界からみると) とても、とても…

[ハウトゥ]スピリチュアルヒーリングのやり方

前回、前々回の記事で書きましたとおり スピリチュアルヒーリングは 真の愛の状態にある生命であるなら 誰もが行えるものです 気持ちの良い木々 滝、そんな存在は きっと、魂の、真の愛の ところにあられるのかもしれません そうしたことを 人間も、この肉体…