花の星の創作BLOG

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怒られたとき……なぜ人はそれをしないのか



怒られたとき
や、嫌われたとき
人には、人の中に
内包するものがあるから
気づくことが出来て
嫌悪や注意をあらわすのですが

だから「その人も同類」とか
怒るのはその人の問題、とか
そうしてしまうのは
おかしいのです

よくないことを
しないひとと
するひと、は
明瞭な差があります

都合の良いことばかり追う人は
「相手にもあること」をもって
反論しようとしますが

問われているのは
「なぜ、ひとがしないことを
あなたはするのか」で

「ひとにもあること」ではないです

……

なぜ
たとえ内包していたとしても
ひとは、しないのか、
しないひとと、するひとは
なにがちがうのか、は
とても大切なことを秘めています

……

嫌われたり
怒られたりしたとき

そうしたことを
「自分の行為」をみつめながら
受け入れることは
勇気がいります

嫌われる勇気、は
人から言われても
何を思われても
気にしないことに
わかせるものではなくて

自覚することに
湧いてくる

……

私は、嫌われそうなことは
自覚しながら
踏んでいます

どういう人が
どんな反応をするのか
みつもっています

傷つけることをするとき
傷つけることをするのだと
わかっているのと
わかっていないのでは
違うからです

……

「怒られなくなった人」は
憐れな末路に進まれます

神様は、怒られます……
たまに、とある次元界隈の方々は
神様が怒らないと
のたまわれる
なぜなのか、疑問でした

そこには、怒る方がいないようです
(怒りを拒絶したから
はなれたのか……)

怒りや、嫌悪をあびたときは
勇気をだして
自分のしたことを
みたほうが
わりとよいです

「なぜ怒られたのか」
「なんで嫌われたのか」は
きちんと、
見ようと思えば
見えるものです

……そのとき
相手が、
理不尽なのか
ほんとうに
自分のいたらないところがあったのかも
みえますから

そうして……
他人は理不尽な時がありますが
神様に理不尽はありません
嫌われたり
怒られたりしたら、かならず
なにか、悪いことを踏んでいます

……神様の怒りや嫌悪は
真受けされると
良いです