花の星の創作BLOG

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魔境と釈迦 & 現実と「ウソ」のギャップ



魔境の話をすることは
とても難しいです
ただ、もしかしたら
どこかで
ツールになるかもしれないので
なんとかしてみようと思います

……

もともとエネルギーには
かたちがありません
かたちを象るのは
形を持つ側
つまり、脳ミソです

脳ミソのなかの
概念が、
エネルギーに具体をあたえ
象りをもたらす

……

悟りと魔境は密接な関係があり
魔境をはあくするなら
悟りについても
把握しなければ
片手落ちになります

悟りとは
釈迦の到達した極地です

それを目指すとき
脳ミソのつくる概念の
ことごとくは
邪魔となります

ですから

悟りをめざすとき
あらわれる
エネルギーの象り
(=概念のあらわれ)を
魔境とし
なにもかも投げ捨てる、
うけながす、と
言われています

悟り、が
概念のすべてを
越えた状態だからです

概念からくるものを
すべて、受け入れて
流さなければ
そこには到達しえないのです

……

霊性の開花と
さとりは
同一ではありません

さとりは概念を越えたところで

霊性の開花は
概念を道具として
見えない界隈に
かんしょうをもたらす

ふれられる、
かんしょうをおこせる
ならば
そこに道具をもたらせること
その道具が
概念をとおしたイメージであり
想念であります

……

悟りと、開花は
まるで別物ですから
どちらかが
どちらかに
競合をおこすことは
ありません

(開花したあと
悟りの道をめざしますと
己の概念が、目に見えて
わかりやすいので
逆にやりやすいかもしれません)

……

わたしは
あまり、ひとのことも
世界のことも
干渉する気はないのですが

(現実にあるものを)
わかっても、ふれてもないのに
伝え聞いたり、軽く触れて
「知った気がする」だけで
ものをすると
現実には、混乱をもたらすので

私は、
根拠が、どこからか仕入れた
伝言ゲームっぽいというか
知ったかぶりのような
身がなさそうな話は
仕入れても、流した方が、
このさきは
過ごしやすいかもしれないと
思います

現実にあらわれることが
噂を聞いて、つくりあげた程度の
「知ったかぶりの話」では
追いつかなくなるのではないかと
感じているからです

それは、見えないことごとくであれ
現実のことであれ、です

(しかし、もともと、私には
「噂からの作り話」は
混乱をうむだけで
現実には、なんの
役にも立っていないように
思えます

いつも、そうした話は
現実においついてない

これから、もしかしたら
そうした、身のない
噂からの作り話や
思い込み
つまり、ウソのある話は、
現実と違いがあることが
もう少し具体的に、明確に
ハッキリしてくるんじゃないかなぁと
思います

現実とのギャップ

情報と状況で混乱したときは
「話」を
いちど、捨てきって
現実を己でとらえなおし
見なおすと良いかもしれません)