阿修羅のいる心
阿修羅のともる心は
常に争いをもとめ
また、つねに敵を見いだします
[これでよいんだ]と
おもうことが
その道の、身外しを
さまたげます
どのようなことでも
やはり
人心正神にない道のりは
[これでよいんだ]のうらに
どこかしらかの[違和感]が
うづくものですから
これでよいんだ、
これでよいんだ、と
ほんとうに、こころから
それでよいときには
そんな覆い隠しの弁論意識は
じつのところ、
うきでません
無理やり納得する
思い込みを
つくりあげるのが
人のアタマでありますが
心のなかの、ほんとうのところは
己の心には
かくしようがなく
たましいは、
知っているものです……
……
しかしながら
阿修羅も
ほかの、まものも
無理やり
おためごかしの愛だの
やさしさだのでは
しずまるものではありません
ただひとつだけできるならば
[これでよいんだ]のうらにある
[これは違う……]という真心の
声をききつづける……
[違う]のさきの
[あっちがほんとう]というところを
真心は知っているものですから
道は、
あゆんだぶんだけ
戻らねばなりませんから
地道な、とても地道な
しかしながら
懸命な尽力となりますが
真心の
[あっちがほんとう]というところを
目指す
……
阿修羅のいかりと
不動明王のいかりを
誤認してはなりません
ひとのほんらいのもつ怒りは
不動明王や、
天来の怒りでしかありません
それは敵ではないし
悪でもない、
ただ、善心に不動なのです
……
しかしながら
こころに、すんでしまったものが
阿修羅であるなら
まだましなものであります