花の星の創作BLOG

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離れていく世界(識が違う話に惑わないこと、と、自分の感覚を指針にすること)



世界

だいぶ離れてくると
すべての「識」が
「ここ」と「あちら」では
まったく異なるから
まったく異なることを
宣うようになる……

近い時は
互いに、似ているようなこと
(しかしよく見るとぜんぜん違うこと)が
いきかうんだけど……

「常識」でも「モラル」「善悪感」でも
なんでもいいんだけど
これから先に向かう「世界」に
まずは、その世界の
「雰囲気や、軽めの識」を浴びて
なじんでいくのが
旅支度なので……

今時分は
異なる方向なら
「異なること」が
ことさら、濃くなるかもしれない

(旅支度、体慣らし
ひとりひとりの、これから先の世界を
だれもが、かるめに浴びてる感じ)


「行く世界」によって
そうしたものは
すべて違うから

どんなに確かに思えても
どんなに真実や、「識」に思えても
自分と違う(違和感があるとか……、
なにか違うことを感じるとか……)なら
先が違うから
ひとのものには
すがらない、惑わないことが
かなめになるかな、と思う

「自分の感覚」というのも
伝えづらいものだけど
今述べるは「心の感覚」のことで
これは研ぎ澄まされた時にしか触れられない

それは「散漫な無我」ではなくて
「集中した無心」のときに現れる

こちらに残る方ならできると思う
(できなくても出来るようになってくる
心のちからがひらいてくるので)

自分の「こころ」だけが
自分の行き場(生き場)を知っているので
前からだったけれど
なおのこと
雑多なことにとらわれず
「自分の心」に問い
自分の心の感覚を
指針(従うとか、すがるとかではなくて
コンパスのように、指針にする)のが
必要かと思う



見えない世界は
霧が深くなっている
見えない世界は
ひとたち、いのちたちの
さまざまな感覚にリンクしている

それだので「困惑、迷い、錯乱」が
多くなるような気がする

コーヒーでいうなら、雑味ってやつだ……

「心は知っている」

かならず、知っているから
うわべにせりあがるものではなくて
心という足をつけて
歩んでみるとよいと思う