花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

しらないこと



しらないことは
不思議に思える

そこに悪意をおぼえるか
善心をおぼえるか

たんなるシステ厶チックなものだったりする

見えないもの、は
みえないだけの現実で
知ろうと思うなら、
きちんと、現実を見る目で
知ろうとすることができる

あてはめようとするなら
自我の霧の中にむかう

ここにいると
常々おもう

知ろうとする人
わかろうとする人は
他人をまえに、
理解しようとする人と
おなじ……

思いやりのあるひとは
なぜだろう
知ろう(わかろう)とする……

無知の知、と
ソクラテスはいった
釈迦は心で動いていた
汝の隣人への愛をもちなさいと
イエス・キリストはつたえた

……

なぜだろう
思いやりのないものは
おしつける
理解しようとするのではなく

自我の霧を押し付けようとする

自我の霧を撒き散らしながら
霧の深みにはいっていく

しまいには
根っこが、心になくなり
我欲ばかりに
なってしまうようだ

はまっていくから
かわっていくのか……

最初の分かれ道では
そんなに
違いはなかったのかな、と思う……

……

自我の保身をするものと

思いやりに道のりを歩む方々の
差異は
ここからさきかな、
はっきりしてくるなぁと思う

道のりよりも
それは心の、角度なのかもしれない
起点は似ていても
ことなる角度にすすむほど
様がかわり、別ものとかしていく

(いまは濁ダクだ)

……

理解のある人は
わかろうとする人で……
わかろうとする人は
弁えがある
自然にともるのか

それが距離感というのかもしれない

ステマチックなものにすぎないものは
「みえないだけ」の
現実にも
ころころころがっている

知ろうとする(わかろうとする)、は
世界への、ちいさな人間のもちうる
最大の思いやりなんだろう

それは、明につながるな、と思う