花の星の創作BLOG

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闇が消えていく日



じつは
だいぶ前からなんだけど

観念で、そうしたことを
ないことにしたとしても
エネルギーの、ながれから

ひとりのひとの
まわりから
「悪人」、あるいは
「敵意をもつひと」が
きえることはなくて

つまり
そのひとを基準に
善人、ふつうのひと、悪人
好く人、ふつうのひと、
どうでもいいひと、嫌う人
の。バランスが
変わることは
なくて

精神性や、心理や
現実の行為の
問題ではなくて

エネルギーのバランスとして
消えることがなくて

気にしないことはできても

そうしたことが
まわりから
消えることはないんだよ

……

これは現実の出来事にもいえて
嬉しいこと←ふつうのこと→嫌なこと
は、どんなときでも
つねに生じる

の、このバランスは
崩れることは
いきているかぎり
ないんだと思う

……

それは、自分の内心にもいえて
良性←ふつう→悪性
の、バランスが
かわることもないんだ

観念をつくりあげ
良性のみを
自分だと
みているときは
あるけれどね

……

闇が消えていく日が
この先おとずれるらしい

私はそれは
この
善←普通→悪の
バランスが
変わる日なのかと思っている

……

日々、闇が消えることはあって
自分を…闇におけば
まわりからは
闇が、消えるんだけど

それは普通、人はしないし
しなくていいんだと思う

……

「良い子でいてほしい」というのは
実は、闇なんだと思う……

ひとにも、自分にも
自分の、日々や人生、運命
他人にも、神様にも

「私は、善人」というのも

……

人生や運命
他人や神様
なんでも

「あなたは良い子だから」って
そんなこと
しないはずでしょ、とか
そんな態度は
もたないはずでしょ、とか
そういう心と、同じように
手前勝手な欲を
現実の上に被らせるのは
やめてほしいなぁと
私は、思っていた

私は、なんだけどね

「良い子」「良いもののはずだ」は
きっついなぁと思う

人生にたいしても
おとずれたことにたいしても
見えないものにもたいしても

「そうじゃなかったら」
削り取ってないか

……

善だけをおうこと
そういう方が
じつは、
ひとのことも
世界のことも
無視していると思う

自前の思い込みしか見ていない

そこにある悪性を、
きちんと見て
怒ったほうが
わかってくれたり
良い子だから、なんて
いわれないで
ばかやろうって
嘆かれたほうが
しっくりきたり、するもんだけどな

……

運命も、神様も、人生も

……

うまくいかない。だけだから。
嫌われたり、悪人がいたりするから。
好かれたりもするし
善人もいるから。
うまくいったり。うまくいかなかったり
するだけだから。

「良い子ではない」

あたまのなかにある
理想のような良い子、
良いものは
見えないものにもいないし

じつは、現実にもないし

じつは、人生や、運命にも
出来事にも、日々にも
日々あたえられる細かい事
すべてにおいて
いない

……

人を…、世界を愛するって
美化することや
美しさ、善性の思い込みを
押しつけ
抑圧することじゃ、ないと思う

善悪のバランスは
エネルギーの現実から
変わることが無い
自前からわくものも、
ひとからわくものも

そうしたことを
うけいれられずに

ただ、観念から
ひとや、世界を見続けるなら
どんな良いことをのたまっていても
していても
それはそうした観念や、
自分の思い込みを
愛しているんだと思う

……

ものや、ひと
向き合うって
観念と向き合うことじゃないと思う

どちらかというと
現実をまえに、自前の観念を
おいておくことなんじゃないか

現実をみて、確認したり
話してみて、把握したり

こころが
ネガティブでも
そうして、
現実と向き合うなぁ、って人は、
きちんと
目の前のことを、愛してくる
(その人が、それを
愛と思っていなくても)