花の星の創作BLOG

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悪意がネガティブ



ほんらいは
天界の許可がないと
さまざまは動けませんし
許可もないのに
うごいたら危ないことになります

それは天界が罰する、のではなくて

たんに見分けがないから危ないのです

……

ひとは
気に入らない人と触れたり
攻撃をあたえられたり
さまざまな時々
ひとへの悪意を持ちます

これがネガティブ・エネルギーなのですが

このときに
祟りのエネルギーに
シンクロする人と
呪いのエネルギーに
シンクロする人でわかれ

なおかつ、
そのエネルギーを
おもてにするとき
「エネルギーを清解、消火する」行為と
「世に災いとして流す」行為で
わかれています

あぶないのは
これが
「ちょっとしたこと」に過ぎない

またそれを感じているときは
たいてい
「悪意を持つ側」ではなく
「相手が悪い」側に居ますから
自分は「正しい行いをしている」になり
恥もない

一般的な方の場合
天はそれほど厳しくはありませんが
見えない領域に
手を加えることを
されているとき

この「無意識」な「悪意」の
ありようで
かえるものが
まったくかわります

……

こうしたことは
言葉ではなく、
内心のエネルギーですから
うわべの態度や
言動でごまかせる事はありません

ほんらい、
見えない領域に手を加えることが
できるのであれば
「いま、なんのエネルギー状態か」
「それをどうしているか」は
自覚がつきますし
またしなければなりません

……

あぶないのは
「悪意がかえる」からではなく
「悪意を流す」からです

見えない領域に
かんしょうする、ということは
多かれ少なかれ
己の悪意が、
領域に影響をもちます

もちろん
その悪意は天意とともに
己にかえりますが

それよりも、
かんしょうできるからこそ
悪意を無造作に顕せば
影響が濃いことが
問われるのです

……

見えないものをみるものは
「信じないでください」とか
「責任はじぶんです」とか
どんな言葉を連ねても
ひとに、影響をもたらします

そうしたことに
一般の方は
問題はありませんし
責任はないのです

自然だからです

自分よりものが見えているひと
自分より力がある人
自分より出来ることがある人に
影響をうけることは
人間のもつ
自然な性質だからです

かかわることによる
事事の責任は、
かならず
見えないものに
かんしょうする側
力がある側に
もたされる

信じられても、依存されても
自立されても、不信されても
どんな影響を、人にあたえたか
それは、力と
かんしょうをおこした側の
責任になります

一般の方に
見えないことへの責任は
ありません

……

見えないものをみたり
見えないものにかんしょうできるなら

ひとにも、現実にも
些細な言動でさえ
「とても影響をもたらすんだよ」というのが
とても、だいじなことで

そこが
把握できると
ちがうのです

……

「悪意」は「相手が悪い」です

……

さて、その上で
ここから面白い話をしますが
祟りにシンクロする人と
呪いにシンクロする人とで
わかれている話をしました

それぞれ、
「そのまま悪いことを
悪いまま、流す」なら
災いをつくりあげます

が、「清濁あわせてひととなり」
のんで、のまれて
己の姿にそれを見つけて
消費、消化、
消火できますなら
果実をつくりあげます

私は祟りにシンクロがあります

祟りにシンクロする方は
不動明王」のほうへむかい
その憤怒のお姿をみならいますと、
憎悪(相手がにくたらしい、
相手が悪いという悪意)が
消化(自分へも注意など)に
かわりやすくなります

呪いにシンクロする方は
私が見ただけですが
「人を愛し護るために呪詛をもつ」大神が
いらっしゃるので
そのご姿勢に学ばれると
憎たらしく、から
慈愛ゆえんの「注意」に
代わるかとおもわれます