花の星の創作BLOG

花の星の更新作品のお知らせブログです、絵、漫画、写真、フリーゲームなども公開していきます

ひと、ではなくて、



人を観るとき
ひとを、そのひとの所為とせず
ひとと周り(あるいはとりまくもの)を
「今」と観るとよいです

責任を求める人は
責任を個人的なものだと
誤認されがちですが

責任はどの場合も
わりあい個人的なものではなくて
全容としたものです

網羅する要素を
みることはできなくても
事毎にしては、
責任や派生どころに
こころはむくものですが
それよりも
全容に目を観るのがよいです
(そうすると、わりあい
分かることが多いです)

「責める心」は
欲にすぎません

……

神様の視点は
全容のしてんです
愛という方もいます
(言葉にすぎない愛ではなくて)

責める心(欲求)を持ち続ける限り
問われるのは自前です
問われていること
問われ続けてきたことに
気がつくと
たぶん、その欲求と向き合えるとおもいます

……

エネルギー

末世のみだれで
ひとのこころもみだれ

自我にはいま
だれもが透き通りではなく
濁りをもっています

我欲が善性のふりをしたり
善性が欲性のふりをしたりします

……

一つ記しますが
正義のふりをした
我欲はおおいのです
懲らしめてやる、という気持ちは
捨てた方がよいです、無駄ですし
自分のことは自分にしかできません

誰かもそうですし
自分もそうです

ほんらいの正義に敵はいません
敵をこらしめるのは
敵意です

己の弱さをこえようとするとき
あらわれるのが勇気です
ひとのことを悪や敵にみつめるとき
あらわれるのは弱さです

……

しかし
怒りを
悪意に怒る、怒りを
なじる神はおりません

うらみも、かなしみも
怒る神はおりません

つらいのは
おまえだから
てばなせと
はなれよと
願われているだけです

なくせ、とか
こえろ、とか
神々は思われません

人の痛みを知るかたがたに
そんな態度は
とれないものです

ですから、
そうした
怒りを「よくないこと」とする人心も
ほんとうなら
ひとつも、わいたりしません

……

知識ではなく
知恵の実を
うごかしてください

そこに理解という
知恵がともるとき
奇跡はおこりますから

人間が手にした知恵は
弱い力ではありません

……

悪意はほうむられていき
怒りになぐさめがふり
祝福とともに
救いはもたらされます

混迷のなか
世界自体の
エネルギーが
みたれがちになりますから
個人個人の、ちいさな生き物である
人間の、こころが
みだれたり
濁ったり、
間違えたりすることは
もう、しょうがないです

しかしどこかで
自分にもどりたいですね
「自分」の生きたい道を
間違えずに
いきていきたいですね