花の星の創作BLOG

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なぜ人のことをとやかく思ったり、言ったりするんだろう(他人への好奇心について)



ひさしぶりに自分の意見を綴ってみる
ずいぶん、スピリチュアルだの
なにかだの
そんな話ばかりだった

人は他人への好奇心を抱えている
人間が群生の生物である限り

(つまり個人よりも
群集であるほうが
人間は生きやすい)

その好奇心は
己や、己の群集への
防衛本能からきているんだと思う

他人のことを
とやかく言ったり
とやかく思ったりすることで
たくさんのことは動いている

「他人のことより自分のことをしろ」というのは
たぶん、生き方として
防衛本能を超えたところにあって
とても正しいんだけれど

「人のことをとやかく言ったり思ったりする」は
失ってしまったら
なんだか寂しいような気がする

それはたぶん
思いやりや優しさや
経験からくるシンパシー(共感)の
少し手前の「振動」なんだと
私は思う

他人に自分のことを
とやかくいわれたり思われたりする
それはとても煩わしい半分
いわば「整調作用」に似ているなぁとも思う

人間が群生生物であるかぎり
この「とやかく感情がうごく」
整調作用……関係の
バランスをととのえる動きは
なくならないと思う

群れ……

奇妙なはなしだけれど
「他人にたいしてとやかく思う」ひとは
わりあい、優しさや
ほんとうの協調性が育っていく気がする

「攻撃的な批判」や「否定する気持ち」を
たやすくぶつける人は
その逆で……

つまり「他人のこと」など
おもっていなくて
「自分の概念」が律動していたりする

奇妙なはなし
「自分の概念の律動」を
他人を思うことや正義と誤解する方々は
(そうしたことがない方々は
いつも、それに不可解そうだけれど)
その律動を思いやりと思いこむので
「優しいことをしている」と
感覚が、そう認識していたりする

ほんとうに他人に優しいことって
他人ではないものの頭の中には
閃きがたいけどね……

他人のことを、とやかく思う人は
「ほんとうに、人に、優しいこと」を、
感覚が誤認しない

そうして、人間関係や
ひととの関わり方(心理の広さや能力)に
差がでている

たぶん、とやかく思うこと、は
ひとつの経験や「揉まれたこと」になって
人間のどこかに
沈殿していくからだろう……

とやかく思ったって
他人は他人で
自分の思いの上にいる訳じゃ
ない

自分の思いのうえの「他人」と
現実の「他人」の
はずれと、あたりの
いきかいで
もまれこまれて
成長するものが
あるんだろう

……

思いをあらわすまえに
とやかく思う、心の動きを
たまに、静かに味わいたくなる

それはたぶん
「他人が好きだ」と
そんなところから
わきたっている