私の場合はサイキックとスピリチュアル
両方でおこなっております
スピリチュアル・ヒーリングは
己を高次の存在の[媒体]とし
ヒーリングをながすことです
サイキックヒーリングは
己の気、ちから、親愛を土台に
ながすものです
……
スピリチュアルを開設された
イエス・キリストさまのご配慮は
ラグナロクにむけられておりました
すなわち、
戦いの嵐の中で
傷つくもの、かなしむもの
くるしむもの、苦痛になやむものが
多く現れるだろうと
予測されていたのです
混迷を極める(見えないところの)
嵐の渦中にも
光のともる道筋をてらし
また、命のつかれ、痛んだ体
こころを、しんから[癒やす]
誰でもが手を伸ばせば届くところに
それがあること
それを、かれは望まれたのです……
……
霊能力をつかうばあいと
スピリチュアルを行う場合では
わけがことなります
もう一度書きますが
金銭の上での力の具現は
[ビジネス]であり
そこに[スピリチュアルな力]は現れません
ヒーリングも、チャネリングも、です
ほんとうの力で
たずさわるかた
ご提供されている
[本気で仕事をしている方]なら
この[違い]を
すでにもう、
実感されていると思います
[スピリチュアルな力]は
おおやけにひらかれ
もとめれば、誰もが触れられる形の
無償の奉仕にしか
あらわれないため
[見えないちから]に
金銭を絡ませる場合
[霊能力]および
[他の存在に依頼した力]を
使用するにすぎなくなり
[スピリチュアル]は発動しません……
……
ここが難しいところなのですが
逆に、カルマなどがからむ
霊的な災いを、他者の霊能力で
何とかする場合
[依頼側]の身銭の切りが必要となります
(そこには、身代わりの意味あいもあります)
つまり
霊能力は金銭を用いらざる得ないときがあり
スピリチュアルは
金銭の場[ビジネス]では発動しません
……
スピリチュアルがなんであるか
天界でははっきりしています
イエス・キリストさまの慈愛にあります
いわゆる[人を啓蒙する思想]や
[高次や次元の話]など
かれも、どのような高次の存在も
する気はもたれてありません
ただ、(見えないところの)
ラグナロクで
命が、くるしむのを
癒される
また、さまよい苦しんだら
道を照らしてくださる
ただ、それだけなのです
……
追記
重要なことなのですが
「ヒーリング」などのエネルギーは
かならず己にも戻ります
そのため
「無償でやっていても
何の問題もありえません」
エネルギーの循環です……
ですから「枯渇する」ということも
「疲労する」ということも
ヒーリングを具現しているなら
ありえないことです……
そして「媒体となるもの」にも
与えられるからこそ
「スピリチュアルヒーリング」…
イエスキリストさまをはじめとした
彼らが流されるヒーリングは
無償の奉仕にしか具現しないのです……