花の星の創作BLOG

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カクリ世と混沌



彼らの思いとシンクロしているとき
彼らの真理(ことわり)とともに
カクリ世の姿が見えるのですが

「そこ」に「いる」のは
人知をこえたすべてのものたち
神羅万象です

「何が神であるか」は
「人の目から見てそうであるもの」を
示していますが

カクリヨがあらわれるにつれ
「そうでなくて、
どれも区別などできないのだ」と
わかるのかもしれません

ひとのこころが
ほんとうは、言葉では
括れないように

……

日本にいる神々は「面相」をお持ちです

彼らの「どの面相」があらわれるか、は
目の前の「自分」にかかるものです
(たいていは
自分の心理(ことわり)の面相を
対にして現れられます)

「かがみ」(神見)とは
そういうことです

……

正義、というのが
どうも「踏んでいくぞ」と思いつつ
「善良に努めようとする」方は
やはり見ていて、清いものがあります

だから、ただ「無明であること」を
忘れているから
踏むのかなぁ、とも思います

己の身の丈が「全明」になってしまうのでしょうね
己の見たこと、把握したことをもって
誰にでもそれがあてはまる
世界につうじる気持であるような……

……

「誰にでも正しいこと」は
真理といいます

それは「全明」にあります

たいていは、もう
「ことわざ」などで
伝えられてきています

ことわざ、軽いですよね
面白いし
覚えやすい
あんな感じです

……

忘却の川をいつも思います

カクリヨとこちらにはその川で隔てりが流れています

私たちは、みな「忘却の川」をわたって
あちら(明界)と、
あちらの半の子のようなところ(隠り世)、
そうしてこちら(現実)で
行きかっています

ですから、カクリヨやあちらのことを
覚えていることは
稀です

そのうち、その忘却の川(結界)が
消えていくので
「なにをして、なにをされていたのか」が
わかるというか、わかるというか……

まぁ、わりと楽しいですよ
現実Onlyよりも

たぶん、きっと
「もっと愛されていた
もっと愛していた」ことを
まざまざとみることになる

そう思います

「意識のしたことなんて大したことないのよ」